友人から聞いた、林先生の仕事観
こんばんは。
先日東進ハイスクールで5年間アルバイトをしている友人と電話をしていまして、
将来の職業の話になりました。
以前2か月ほど前に僕が、
「自分の願望とする姿を追いかけるのが幸せなのか」
「現実的に自分の強みをみて、強みが生きる仕事を選択するのが幸せなのか」
という悩みを話していたのを覚えてくれていて、
それに対する一つの考え方として、林先生の良い言葉があるということを教えてくれました。
それは、
「人生の仕事には四つの分類がある。
①:やりたいしできる
②:できるけどやりたくない
③:やりたくないもないし
④:やりたいけどできない
①なら言うことはないが、
④を選ぶなら②を選んだ方が幸せだ。
自分できることを選んだ方が人生は楽で幸せになる。
やりたくないと思っていても、
より簡単に結果が出て評価を受ければ、承認欲求のある人間なら嬉しく感じ、
さらなる承認欲求を求めて
②が自然と①になっていく可能性がある。
ちなみに林先生ももともと塾講師がやりたいわけではなかったが、
「人に教える」という強みを持っていたので、
より簡単に結果が出て、自然と塾講師の仕事が楽しくなっていった。」
という話を聞きました。
ただ承認欲求が薄い人、もしくは自分のやりたいことが確立されていて、
やりたいことをするのが幸せだと感じる人には当てはまらない可能性が高いので、
一概に全員にも当てはまらないとも感じましたし、
そもそも幸せの形は人それぞれなので、ただ単に一つの考え方としてでしかなく、正解はないことは今は承知済みです。
僕の場合は承認欲求が強いので、「初めはやりたくない、特に興味がなかったことだとしても、自分の強みが生きる内容の仕事なら、承認欲求を得やすいのでそれが好きになる」という考え方は想像できて共感できるかと思いましたが、
よくよく考えてみると、
承認欲求の満たし方も人それぞれ違います。
「自分の作成した広告媒体を、今までこの世にあるかどうかの斬新さということに関して、より実績ある人に評価されることで満たされる」と考える人もいましたし、
「この人なら自分の悩みをなんでも話せるほど信頼できる人間だ、とより多くの人間から思われることが評価の基準であり満たされる」と考える人もいました。
果たしてその仕事で満たされる承認欲求が、
自分の満たしたい承認欲求ではないとしたら?
例えば仮の話ですが、僕が今大工仕事がめちゃくちゃ得意であったと気づいたとして、大工仕事をしたとします。
「君すごく力あるだけじゃなくて仕事が繊細でセンスの塊だね!
他の大工とレベルが違う!」
と言われても、全くではないですが、大してうれしくはありません。
僕は「知的能力が高い」「頭が良い」という基準で褒められるのが最もうれしいですし、先日コメント欄でなぜそのように褒められるのがうれしいと感じるようになったのかということを分析はしました。
しかし「知的能力が高い」「頭が良い」というのが抽象的過ぎます。
そして未だ細分化・具体化できていないのでまだここではお伝えできない状況にあります。
自分の考える「知的能力が高い」「頭が良い」とはそもそも何なのか?
もう一日考えて、次はこのテーマで書きます。
それではおやすみなさい。
最後までお読みいただきありがとうございました。