理想像発見への一歩
こんばんは。
金曜日ですね。
今日はインターンの喫煙所でいつもの上司に話ををしてもらい、そこで自分が将来への一歩を踏み出せたのでそのアウトプットをもう一度このブログに書きます。
僕はとにかくお金をたくさん稼ぎたいと考えていました。
ただその目標値はありませんでした。作っても理由のない目標値です。
なぜ?
それは「お金をいくら稼ぐこと」が目的ではなく、「お金を周りの誰よりも稼ぐこと」が目的だったからです。
いや目的ではなく手段ですね。
目的は、「自分には周りの誰よりも価値がある」という見栄をお金という基準で評価することで張ることができるからです。
しかし死ぬほどお金を稼げば満足するのか?
と考えればそうではありません。
なぜなら、人をだまして稼ぐお金なら価値はないと考えていたからです。
じゃあ「お金を稼ぐ=価値がある」というのを深堀していった結果、
お金を稼いであの人は価値があるなと考えていたのは、
その人にはその金額を稼げるだけの能力があるからすごい!と考えている自分がいました。
つまり自分にとっての「価値=お金」ではなく、自分にとっての「価値=能力」だったのです。
じゃあ次はどんな能力かという話です。
「上司におべっかを使って出世する能力」もありますが、それは自分は価値は感じません。
自分が価値を感じるのは、「業務の中で生かされる能力」です。
では「業務の中で生かされる能力」とは何か?
「仕組みを作る能力」なのか?「仕組みの中で動く能力」なのか?
「どの場所で」生かされる能力なのか?
「どの要因で」生かされる能力なのか?
今の自分の考えでは、
「仕組みを作る能力」よりも「仕組みの中で動く能力」のが価値を感じます。
物や何かを作るということに昔も今もそこまで強い魅力を感じていませんでした。
その「仕組みの中で動く能力」の中を見るために自分の業務フローを分析した結果、
「自分の戦略を作ってその完璧性を楽しむ」よりも、「自分の戦略を伝えて納得してもらう」ことに楽しさを感じています。
自分の戦略の中に独創性があることよりも、それが既存のものでも自分が伝えることで納得してもらえることに喜びを感じます。
その結果で、顧客に満足してもらうのを見るのに自分も満足します。
場所は、究極的に言えば、○○の平野さんではなく、個としての平野さんとして評価をしてもらえてこの価値を出せたらこの上なく幸せです。
以上今日の気づけたことでした。
自己承認欲求打ち倒すどころか、自己承認欲求の塊みたいなことを言ってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございます。