自分への戒め
おはようございます。
昨日の夜投稿するつもりだったのですが、
すみません、今日の昼になってしまいました。
愛知帰省も残すところ二日となりました。
先日高校時代の友人と飲みに行きました。
会うのはGWからの三か月ぶりで、
高校時代の思い出話や、
現状の大学生活や、仕事や、大学院受験の話、
将来どうしていきたいかの話などに花を咲かせ、
楽しい時間を過ごすことができました。
もちろん楽しいだけでなく学ぶこともありました。
今日はそんな友人との話の中から自分への戒めになることがあったのでその話を。
僕の友人の一人は、
愛知の有名な国立大学を卒業し、
住友関係の有名企業に就職しました。
彼から僕の知らない社会人生活の話を聞かしてもらえるので勉強になるのですが、
彼の発言から、他者からの評価や自分の世界観に固執しているな、と感じられる発言がいくつか見受けられました。
愛知県のX大学のやつは、頭が悪いから話す価値がないとかかわいそうだとか云々カンヌン…
高校の同級生のA君は、中小企業だから俺のほうが上だという口ぶりや、
ほかにも様々…(※結構酔っていたため、正確に思い出せていません…すみません。)
僕がこの内容を書いたのは、
”彼の考え方が間違っている”とか
”彼知っている世界が小さい人間だ”とうことを
愚痴りたかったわけではなく、
自分の今確立した考え方を忘れないようにしようと改めて決心するためにこの話を出しました。
人間は外見やステータスだけでは素晴らしい人間かどうかなんて判断できないですし、
上か下かの評価基準は人によって違いますし、
自分の考えが必ずしも正しいわけではありません。
勉強の出来=仕事の能力ではなければ、
他者全員から評価を得ることなんてできないので、最終的に自分に充足感が得られるのは自分で自分を評価してあげられたときだろうし、
自分と全く違う価値観の人と話すことで新しい角度から全く今ない知識が得られたり、考えが生まれる。
そして、幸せの形は人それぞれです。
自分も今年の春までは
この考え方を持つ彼と話をしていてここまで強烈な違和感を覚えなかったので、
この半年で自分の価値観を大きく変えることができたんだな、と自分の中では感じています。
もしかしたら僕の今の考え方のほうが彼の考え方よりも間違っていると思う方はいるのかもしれませんが、
柔軟に自分の枠を広げていろんなことを吸収して、
自分の人生に充足感を得るためには、
自分の今の価値観のほうが
彼の価値観や昔の自分の価値観よりも向いているのではないかと感じています。
最後までお読みいただきありがとうございました。