凡人営業マン日記。~トップ営業マンへの道のり~

トップ営業マンを目指す凡人営業マンが日々の学びをアウトプットしていきます。

承認欲求なんて自分次第

こんばんは。

今日のテーマは最もブログのタイトルと整合性が取れているような気がします。

 

承認欲求は他者から得られるもの、僕はずっとそう考えていました。
なぜなら今までの人生、他者から承認を受けることで満足を得てきたと考えていたからです。

しかしその考えは間違っていたのかもしれないと感じています。

 

結論からいうと、承認欲求を満たすことができるのは、「他者ではなく自分しかいない」と考えています。

例えば、僕は昨日のブログで「自分のありたい姿」について述べたときに、

 

・自分は組織にとって欠けてはならない存在だと自分で思いたい

・28歳同年代の自分の知っている枠組みの中で最も仕事ができる人間であると自分で思いたい


の二つを上げましたが、
これは、


「自分はかけがえのない特別な存在になりたい」
「自分を人より優れている人間だと思いたい」

という自分の中で最も強い根本欲求に基づいています。

 

まず、「自分はかけがえない存在になりたい」という言葉についてみていきます。

 

「かけがえない存在」ってそもそも誰にとって?という話になりますし、

 

そもそも絶対に「欠けてはいけない」「替えがいない」存在なんていないのかもしれません。

 

組織にしても、自分が「欠けたら困る」と考えていても意外とやっていけるかもしれません。

 

例えば、恋愛を例にしてみます。

自分が大好きな恋人がいて、その相手は自分の人生にとって「かけがえない存在だ」と考えていたとしましょう。

常日頃から、今何をしているのか?とLINEでやり取りをして、今日は何をしたいだろう?と考え、いなかったらなぜかさみしい気持ちになる。いつかこの人と結婚して人生を共にしたい。そんな風に思える「かけがえのない存在」がいます。
あなたは幸せな日々を過ごしているのですが、しかし突然、彼女から電話がなり響きます。最近仕事で忙しくてあまり会えていなかったからさみしくて電話してきたのかな?そう思って電話に出ると

「ごめん、ほかに好きな人ができたから別れよう。」とあなたは言われてしまいます。

 

あなたは別れたくはなかったですが、彼女が付き合う意思がないなら別れるという選択肢をせざるを得ません。

じゃああなたはその「かけがえのない存在」を失ったから、

人生にはもう意味がないと確信して、死を選びますか?

 

 

僕なら選びません。

もちろん欠けたばかりの初めのころはさみしい気持ちで落ち込んでいるかもしれませんが、いつかは吹っ切れます。そして一年後には「替えのきかない」と思っていた左のポジションには、全然タイプが真逆の子がいるかもしれません。

(※別に今の彼女と別れるという意味ではありません。)

 

例えが長くなってしまって申し訳ございませんが、

言いたかったことはそのくらい「かけがえのない存在」なんて欠けても替えても何とかなってしまうかもしれないので、
自分が「かけがえのない存在」か思えるのかどうかは、
自分次第の考え方ということです。

 

もちろん、外部環境によって「欠けたら困る度合い」と「替えやすさ」や

「自分のことをかけがえがないと自分で思いこめる早さ」は変わると思います。

 

例えば、同期が1000人いる会社で売上を10億円あげても、

会社の売上の0.00数%だと思うので、欠けたとしても替えは1週間で見つかるかもしれません。

大企業の転勤も、本当に欠けたら困る・替えがきかない存在なら、転勤してしまうと元いた部署が傾いてしまったりつぶれてしまったりするので、絶対にさせません。

しかし転勤が横行しているのは、そのポジションは別に誰でもいいからだと思います。

ある一定レベルのスキルを満たしていれば誰でもやっていけるからではないでしょうか。

 

これが例えば極端な話二人だけの会社なら、

年売りが5000万円と5000万円の合計1億円だとしても、

一人がやめてしまったら会社の経営は傾いてしまうかもしれません。

欠けたときに困る度合いと替えのききづらさがある程度わかるので、

「自分はかけがえのない存在なんだ」と思いやすいかもしれません。

 


次に、「自分を人より優れている人間だと思いたい」という言葉についてみていきます。

「優れている」と感じるのは人それぞれ基準が違います。

「人のことを非難しない人が優れている」と考える人もいれば、

「お金を一番持っている人が優れている」と考える人もいます。


「自分の好きなことに挑戦してそれで飯を食っている人が優れている」と考える人もいるでしょう。

「仕事で結果を残している人が優れている」と考える人は多いと思いますが、
何の仕事をどの場所でやっているかによって
「優れている」の基準も違うでしょうし、優劣のつけようがありません。

※大企業なら出世しているかどうかが優れている基準かもしれませんが、経営者の世界ならいかに社会に貢献できているかが優れている基準かもしれません。その各世界によっても人それぞれ価値観が違います。



このように、人の優れているが千差万別の中で、自分がどうやって「他人より優れている」と他人に評価を受けるのでしょうか?


自分の持っている基準で評価をする以外は方法はありません。
僕の持っている「優れていること」の評価軸は「仕事で結果を残せるかどうか」です。

「仕事で結果」:これがそもそも抽象的なので、

今の自分の現状に当てはめると、
「一営業マンとして、最も高い売上を挙げられるかどうか」です。

考え方は人それぞれですし外部環境に影響されるので、あくまで今の軸ですし、

もしいつか部下ができたら「チームとして○○円の売上を達成できるかどうか」とか言っているかもしれませんが、
今の僕の軸は「一営業マンとして、最も高い売上を挙げられるかどうか」です。

例えば僕の場合だと、目の前に優秀な営業の上司がいます。
その方は僕を含めたみんながいう一流の営業マンで、
営業マンの評価軸は売上です。
その一流の営業マンを売上で追い抜くことができたら、

自分は最も優れている営業マンの一人で、「人よりも優れた人間だ」と自信をもって自分で思えると思います。

評価をするというよりも「思い込む」に近いかもしれません。

 

最後に、人の言葉には「嘘」が存在します。

嘘つきの最たる例が女子大生でしょう。

よく「凄ーい!」と言いますが、「具体的に何がすごいの?」と聞き返してみてください。

「えーなんか!!」と答える人が大半なはずです。

ここまで極端なのはなかなかないですが、人は「凄い」「かっこいい」と言っていても心のどこかではひがみを持っていたり、俺のがすごいと思っている人もいるかもしれません。


言いたかったことは、他人の評価はあてにならないことも多々あるということです。

 

極端な話、1000人の人間全員から高い評価を受けるには、

自分のドッペルゲンガーが999人いて、1000人それぞれの評価の基準が寸分くるわずわかってその基準を満たす行動を行い、相手の言葉ではなく心の声を聴けないことには自分の承認欲求を満たすことはできないんです。

 

以上から、自分の承認欲求は、他者ではなく自分でしか満たせないと考えました。

最後までお読みいただきありがとうございました。