凡人営業マン日記。~トップ営業マンへの道のり~

トップ営業マンを目指す凡人営業マンが日々の学びをアウトプットしていきます。

他者から何も得ることなく、自分一人で得ることができる喜びとは何か?

こんばんは。

なかなか承認欲求から抜け出せずにいます。

 

他者から何も得ることなく自分一人で得ることができる喜びは、

 

基本的には自分のなりたい将来像があって、その像に近づいていくことで喜びを感じるんだと考えています。

ただそこに他者から得るものがなく、自分一人で完結するということが必要になります。これが非常に難しいと感じています。

 

今日はその将来像と喜びって何があるんだろう?ということを考えました。

自分が達していない領域のことを書くので間違っていることがおそらくあると思います。

ぜひ批判とアドバイスをしてください。よろしくお願いします。

 

 

①ある物を作り出すことできるようになる自分を将来像に抱く人

 

何か自分の理想とする物があってそれを作り出すことに喜びを感じる人です。

例えば、自分の美学がある建築家とかの例がわかりやすいかもしれません。

左右均等、屋根の角度などがすべて達成されている建築物が美しい、という自分なりの美学を持っていて、それを作り出すことに喜びを感じるんでしょうか。

自分の美学がない人には非常にハードルが高いです。

 

②自分が求める何かを他人に提供できるようになる自分を将来像に抱く人

 

サービスを提供するでも物を提供するでも、他人に自分が納得している何かを提供することに喜びを感じる人です。

ここで難しいのは、その結果にフォーカスをしていないということです。相手に納得してもらう、感謝をされるだと結果的に相手に提供して相手から得るものに判断をゆだねています。

相手に自分が提供したいことを提供するプロセスにのみ喜びを感じるということになります。

 

③多くのことを知る自分を将来像に抱く人

 

自分の知識が増えることに喜びを感じる人です。

例えば、研究がただ単に好きな教授などが良い例かもしれません。

自分が研究してきたことを伝えることに喜びを覚え、それが認められるか認められないかを意識はしません。

この場合は研究のプロセスに強い喜びを感じ、こんなことがわかった!ということに満足を得るのだと思います。

 

④何かに貢献する自分を将来像に抱く人

この産業を変えることに貢献する、この会社に貢献するということに喜びを感じる人です。

変えた先にある自分の評価ではなく、物事が変わるさまを見て喜びを得ます。

もしくは貢献していると感じる自分に喜びを感じるのかもしれません。

何かに強く問題意識を感じている人や、愛している産業や会社がある人ではないと難しいと思います。

 

⑤お金を増やすことに自分の将来像を抱く人

 

純粋にお金が好きな人というべきでしょうか?

大量のお金の得ることによって喜びを感じる人です。

ただここに他者との比較やお金を持っている自分を評価されたいという感情があってはいけません。それは見栄になってしまいます。

そのお金を使って何かに投資をしたりすることでまた増やすというプロセスを楽しんでいるのかもしれません。

 

⑥どんな問題でも解決できる自分の将来像を抱く人

 

自分の問題解決能力の発展を自分で感じることに喜びを感じる人です。

あぁ、こんな問題も解けるようになったという成長を楽しみます。

ここでも他者との評価があってはいけないのです。あいつが解けなかったのに俺は解けた、だと見栄になってしまいます。

あくまで自分一人での発展を楽しみます。


モレがないようにということを意識したのですが、もしかしたらまだモレているかもしれません…。

またこの6つは人によって変わると考えたのであくまで抽象的ですが、個々人ごとのいつまでに?どの場所で?何で?なぜ?どうやって?が入ってくることで無数に具体化されます。

 

僕がこの類型を書いた目的はここで自分の当てはまる類型が何かということを見つけられたら、という思いで書きました。

ただやはり承認欲求で凝り固まっているので当てはまるものが見つかりません。

他者から得る評価のが気持ちよく感じてしまいます。

 

 

確かに自分一人で得ることができる欲求として、成長を感じるプロセスは確かに喜びを感じます。

もし、空雨傘・MECE5W1Hが無意識的に使えることを自分で感じることができたら喜びを感じるでしょう。

そのほかにも、問題を一つずつ分解できるようになりたい、目的を常に意識して動けるようになりたいなど身に着けたいスキルはたくさんあってそれを無意識的にできる自分い気づけたら成長を感じるので喜びを感じます。

 

ただ問題は最後のゴールがないことです。

他者が介在することなしに、なりたい自分像がなかなか見つかりません。

そのスキルを使いこなせている自分を半年後ビジョンにしてできていたら満足することはできますが、その先が見つかません。

成長して喜びを感じた先にできるものは何なんでしょう?

なぜそのスキルを今身に着けたいのか?というと今の自分の能力のなさに不満足だからですし、それを身に着けた自分は今の不満足を解消できてよりレベルが高くなったと感じるからであり短期的なゴールにしかならないので、これビジョンだけでは結局長い目で見た幸せとはいえません。

 

自分は何かで一番になりたいという欲求が強くありそれがゴールになる可能性を秘めているかとも考えました。

それは今まで自分が何かで一番になった経験がなく、常に下の立場にいて特定のやつに負けていて自分の方がその枠組みで測られる能力において低いという悔しい思いをしてきたからです。
具体的にいうと、高校で受験をする際の偏差値ですね。

また一番になったら他者の評価ではなく自分の評価で満足できるような気もします。

ちやほやされたいから?そうではなくて、その枠組の中で一番になることで自分の方がその測られる能力が高いと客観的にある指標で自分でわかることが自己満足なんです。

ですが、その一番というのも、いつ?どこで?何で?誰より?どうやって?という部分が決まらないことにはゴールが決まりません。

またその一番という概念ですら、比較対象が存在するので、自分で意思決定できるゴールを作るという目的が成り立たないような気がしてなりません。

これはもしかしたら承認欲求なのではなのかもしれない…とも感じています。

なぜかというと、自分が一番という事実に自分で満足するので他者から評価は受けてはいないですが、他者を使うことで自分に満足をしているからです。

少なくとも、自分一人だけで比較対象がない場合は一番もくそもないので満たされないことを考えると、置くべきゴールではないので失敗です。

 

また最終的なゴールは自分の幸せです。

自分一人で得ることができる喜びは、他者という不確実な存在に任せることなく自分の努力次第で幸せを得るための手段です。そのために考えています。

早く他者から得ることなく、自分一人で得ることができる喜びのゴールを発見したいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。